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役割葛藤





1,役割葛藤とは




社会や集団のなかで占める特定の地位や位置にふさわしいものとして、

他のメンバーが期待する行動様式を役割という



現代に生きる個人にとって、所属する集団は1つではない。



学生ならば、クラスでのグループ、部活グループ、家族のグループなど

様々な集団に所属しなければならない。

必然的に人は複数の役割を持つ。



したがって、ある場面で個人が期待される役割に矛盾または

対立が生じることもしばしばあり、


そのようなときに個人が経験する緊張状態を役割葛藤という。 





たとえば家庭では母でありながら、社会的には企業の管理職であるという

女性が自分の子どもが病気のときに仕事を休むかどうか迷う、などは

役割葛藤の典型になるだろう。



このほか、集団メンバーの中で役割期待が異なる場合や、個人の役割期待と

(例えばある人にはAという行動を求められているけど、

別の人にはBという行動を求められている時)



役割遂行能力の間にギャップがある場合などにも役割葛藤が生じる。

(父親の意思を継ぐのなら、医者にならなければならないけど、学力が足りないなど)



役割葛藤という概念はさらに,

個人の価値基準や社会的態度を理解する手がかりにもなる。


《また現代人の人間関係の悩みとして

多くは役割葛藤によるものだと言われている。》



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