「ヨーガ」というサンスクリット語は、
一連の肉体的·精神的鍛練を表す語として
用いられる。
この鍛練により、精神面では洞察力が高まり、
肉体面では身体能力の限界を超えることができると考えられている。
肉体面では身体能力の限界を超えることができると考えられている。
ヨーガについての記述は、紀元前6世紀頃の
初期ヒンドゥー哲学の文献(ウパニシャッド)に見られ、
また、サンスクリットで書かれた古い聖典『バガヴァッド·ギーター』にも、
また、サンスクリットで書かれた古い聖典『バガヴァッド·ギーター』にも、
ヨーガに関する節が存在する。
ヨーガについて最初に体系的な記述を行ったのは『ヨーガ·スートラ』である。
この書は紀元前2世紀の哲学の書
パタンジャリによるものだと考える学者もいるが、現在では一般的に、
2世紀から4世紀の間に2人以上の著者によって書かれたもので、
2世紀から4世紀の間に2人以上の著者によって書かれたもので、
著者たちが生きていた時代以前の
伝統や慣習も取り込んだものだと考えられている。
伝統や慣習も取り込んだものだと考えられている。
『ヨーガ·スートラ』には、精神的な静寂を手に入れ、集中力を高めるための手法が記されている。
静寂と集中によって、深い洞察力を身に付けるのである。
ヨーガはもともと、禁欲主義の実践者のためのものであるが、
後に、誰にでも行うことのできる鍛練法となった。
ヨーガにおいては、ある姿勢をとることや呼吸を整えること自体が目的ではない。
それらの姿勢や呼吸法によって心を鎮め、精神統一を行っているのである。
自らの感覚をコントロールできるようになると、精神の静寂を感じられるようになる。
その段階まで達して初めて、精神的な自由が手に入り、
洞察力が高まってくるのである。
2、神を持たない哲学
ヨーガにおいては、自己の外部に存在する神への信仰は行われない。
ヨーガとは、自らの体がこれまでに積んできたさまざまに入り組んだ
経験を手放し、真の自己を解放し、自己とは絶対的な存在と
同一のものなのだという気づきを深めていく自然な過程である。
ただし、これは、ヨーガが基盤としている
哲学(サーンキヤ学派)の思想である。
サーンキヤ学派は、
インド哲学の最古の学派の一つであり、
ブラクリティ(物質)とプルシャ(純粋な意識)との
完全な二元論を唱えている。
哲学の中には
物質と精神とを対立するものと見なす学派もあるが、
サーンキャ学派では、
精神とは物質が洗練されたものだと考えられている。
したがってこの学派によると、
人間は3つの要素から出来ている。
人間は3つの要素から出来ている。
肉体、
世俗的な自己(あらゆる精神活動と、感覚を通した経験とを含む)、
3つ目は純粋で永遠の自己である。
純粋で永遠の自己とは、永遠のプルシャと同じように時間や場所に関する
制限を一切受けない存在であるサーンキヤ学派においては、
制限を一切受けない存在であるサーンキヤ学派においては、
神に対する献身ではなく、自己を解放し自己の中に存在する
物理的制限を受けない純粋に精神的な性質を見出すことを目指している。
物理的制限を受けない純粋に精神的な性質を見出すことを目指している。
そして、そのための手段が、ヨーガなのである。
宗教学事典
著 星野英紀
宗教学大図鑑
著島薗進
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