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ユダヤ教









どうもKURAMARUです。



早速ですが、みなさんユダヤ教と聞けば何をイメージするでしょう?

ヒトラー?虐殺?ユダ?ユダヤ人?

いろんなイメージがありますが、中には誤解が結構あります笑笑。


ちなみにユダとユダヤ教は全く関係がありません。


また必ずしもユダヤ人=ユダヤ教でもありません。

キリスト教を信仰するユダヤ人の方もいるからです。  

またユダヤ教の始まりはヘブライ人によるものですが、

ヘブライ人とユダヤ人の違いはありません。

ただ状況によって名前が変わってくるため、少々ややこしいです。

今回はその誤解を払拭するべく紹介したいと思います。



1、ユダヤ教とは


ヘブライ人のヤハウェ信仰を起源とするユダヤ教の宗教


ヤハウェを唯一絶対とする一神教≒一元論であり、


しかもヤハウェはユダヤ人を選民としたとする神と人との契約から成立した宗教。



聖典に記載された律法トーラー」と,

口伝された律法タルムード」から成る。


教団の公式の発足は

バビロン捕囚*から帰国したユダヤ人が


バビロン捕囚*(バビロンほしゅう)は、

新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、

ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとした

バビロニア地方へ奴隷として連行され、移住させられた事件を指す。

ネヘミア、エズラという人物の指導のもとに民族的団結を唱えた

5世紀後半といえる。


その後前2世紀頃から



サドカイ派(裕福、保守的)



エッセネ派(厳格、敬虔)



パリサイ派(熱心)


などに分かれてしまったが

次第にパリサイ派が主流となり,

シナゴーグ(集会)を中心として律法を重んじるようになった。 



70年にエルサレム神殿(エルサレムにあるヤハウェを祀る神殿。

2回破壊されている。ここの広場には有名な「嘆きの壁」がある。)

が破壊された後、国を失ったユダヤ人は,1948年のイスラエル共和国建国まで

ディアスポラ(パレスチナ以外に移住したユダヤ人)として

世界各地に散らばったが,その間もラビ(指導者)の指導により,

シナゴーグを中心にその伝統を守った。










2、一元論とハラハー



ざっくり言うと、

一元論とは世界は1つものから出来ているっていう考え方である


例を挙げると、ユダヤ教などがその例である。



進歩主義*の思想家の中には、神は人間の外部に

存在するものではなく、自己と切り離せないものなのだと

(つまり、己の中にある)考える人々もいる。



進歩主義*.....現在の社会的な矛盾、不合理を次第に改善し、

新しく、より優れたものを追及する思想である。


簡単に言えば、改革派という感じである。⇔保守主義



また、ユダヤ教神秘主義の考え方を取り入れた人々もおり、彼らは、 
創造はすべて神の中で起きたものだと考えるため、

あらゆるものが神であると信じている。


このように唯の神を信仰する場合、一元論という立場をとることになる。


それはつまり、この世界に存在するものは一つしかなく、

その一つとは神である、という考え方だ。

このようにして、ユダヤ教の進歩主義的な宗派において

神学理論が変化した結果、

個人と戒律(法)との関係は、次第に変化していくこととなる。



個人と神と戒律(法)との関係が新たに定義されたことにともなって、

進歩主義的ユダヤ教徒は、ヘブライ語聖書に関しても

今までの解釈を見直すこととなった。


それまで聖書は神の言葉の記録であると信じられていたが


彼らはもはや聖書の権威* そのような単純なものだとは考えていなかった。






権威*....

制度,地位,人格などに優越的な価値や力が属しているため

相手に服従を求めることが出来る力。


権威の源泉と考えられるものには  社会学者M.ウェーバーのいう

人格的カリスマ,伝統や制度の神聖視,組織上の合理化された

権限などがあるが,これらはしばしば混ぜ合わさって現れる。


権威それ自体は強制的権力そのものでも,

この世の真理のようなものでもなく,

その本質は服従者の受容を条件として(つまり、受け取る側がどう受け取るか)

成り立つ社会的な力であるといえる。



聖書はさまざまな時代の文献を集めたものであり、

人間と神との長期的な関わりを記録したものであると、彼らは考えた。



つまり、神は一度に明確な形で啓示(教え)を授けたわけではなく、

何回にもわたって継続的にその意志を示しているのだと

解釈するようになったわけである。



同様にユダヤの法であるハラハー(聖書の戒律と古典期のラビの判断に

由来する伝統的法規)についても、


時代が変わり判断を下す人が変わっていく中で、

その内容は変化を繰り返してきたと進歩主義者は認めている。



進歩主義的な宗派においても、正統派の宗派においても、

ハラハーは変化し続けているのである。


その時代ごとの倫理的な問題や実生活における問題に対応するために、

ハラハーは常に適応を繰り返してきたのだと考える。


終末医療などの問題に取り組む際には、その時代の倫理観が

強力な判断基準になるということである。

進歩主義者の中には、ハラハーが絶対的な力を持たなくなると、


ユダヤ教はヘブライ人預言者が重んじられた古代のユダヤ教に似たものとなり、


倫理的動機に基づく預言者的ユダヤ教となると主張する人々もいる。


















参考文献
宗教学事典
星野英紀

宗教学大図鑑

著島薗進

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