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重いものと軽いものを地面に落としたら?











重いものと軽いものを地面に落としたらどっちが早く落ちるのか?




結論からいうと、どちらも変わらない。

(*しかし、空気がある世界では、より軽く、よりやわらかく、表面積が大きいものが遅く落下する。

ペラペラの紙切れがゆっくり落ちていくのが最たる例である。)


物理学の世界では、物体を自然と落とすことを自由落下という。


では、なぜ重いものと軽いものが同時に落ちるのか、思考実験といわれる


頭の中で実験をして確かめてみよう。


空気抵抗が無いもの、つまり真空中仮定して話を進めてみる。

【真空中…空気が全くない状態。】

1gのものと、1gのものを同時に落としたら、
同じ速度で落下することは納得できると思う。

では、1gのものと2gのものは? と考えてみよう。


2gのものは1gのものを1+1=2個くっつけただけであり、
それ以上のものではない。

くっついたというだけのことで落下速度が速くなるのであれば、


分割すれば遅くなるということが推論できる。


じゃぁドンドンと分割していくと、



そのうち落下しないで空中に止まったままになるのか?


とまぁこんな感じの思考実験をすることで

ある程度納得できるのではないかと思いますが、どうだろうか


では、実際に理論的に説明していこう。



重い物に働く重力の方が軽い物に働く重力より大きい。


重力(mg)=質量(m)×比例係数(g) … ①

この公式は中学物理で出てくるものである。

比例定数は重力加速度=gと呼ばれ、
厳密には  g=9.80665[m/s² ] と定義されている。


同じ力を加えても重い物の方軽い物より動かしにくい


加速度(a:
 m/s2)=加える力(F:N)/質量(m:kg)  … ② 

②…これを運動方程式という

【*物理学で力は記号でFを表す。単位はN。】

これも経験があるのではないだろうか。


次のような経験がないだろうか?


・同じ重さなら加える力が大きいほど良く加速する。


・同じ力なら軽い物ほど良く加速する。


物体に加える力が重力だけの場合は、
①を②に代入して、

加速度=加える力/重さ=重さ×比例定数/重さ=比例定数

分子と分母の重さが約分されて消えてしまう。


自由落下における加速度は重さには無関係であるということである。


じゃあ空気抵抗が存在したら具体的にどうなるの?


ここでは具体例として、同じ体積と表面積を持つ鉄と紙切れがあるとしよう。


②で使った運動方程式を考えてみよう。


ma = mg - D (Dは空気抵抗)で、

終端速度に達する(つまり地面に着いた時)のはa=0として、

mg = Dが成り立つ時です。Dは速度の2乗に比例する。

鉄の方がmが大きいので、加速が紙よりも長く続くことになる。

その結果終端速度は鉄の方が大きくなる。

よって、鉄の方が早く地面に着く。



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