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メタ認知


1,メタ認知とは




メタ認知とは自己の認知過程についての認知と知識を指す。

自己の認知過程に対する意識的なコントロール【control】モニタリング【monitoring】の過程が関与する。




「メタ」とは,認知過程の水準よりも「上位」水準として,認知過程をモニターしコントロールすることを意味する。

すなわち,メタ認知の機能は,目標や状況,自分の限られた処理資源に基づいて,

プランニングを行ない,現在の認知活動の状態を評価しながら,

認知活動を調整して効率的情報処理を行なうことである。


もっとおおざっぱにいうと、

「認知したことを認知する」ことを
メタ認知という。



知っていることを知っていると言い直してもいいかもしれない



2,メタ認知についてもっと詳しく




メタ認知の構成要素は二つに分かれる。


第1は,自分の認知過程をモニタリングしコントロールするためのメタ認知的活動とそれを支える方略に関するスキルである。


第2は,メタ認知的知識であり


⑴方略の有効性,


⑵認知課題(課題要求や学習材料など),



⑶自己の認知能力や動機づけに関する知識,



および⑴~⑶の相互作用に関する知識である。


これらは,発達・加齢や学習によって変化し,認知的パフォーマンスの個人差を生み出す。

たとえば,課題に適切な方略知識をもつことが課題成績を向上させることは,多くの介入研究において示されている。



 メタ認知研究の起源の一つは,

自己の内面に目を向けてその意識過程を分析して,言語化を試みる内観【introspection】である。



人が自分の内的プロセス自体を思考の対象として

内省【reflection】する傾向をもつことは生得的能力に支えられていると考えられる。


3,メタ記憶について

~これを知れば、勉強出来るようになる!?~






メタ認知研究の直接的起源は,1970年にフラベルFlavell,J.H.が提唱した

記憶過程に関するメタ認知であるメタ記憶【metamemory】の研究である。



 メタ記憶における記憶状態のモニタリングとしては,

のどまで出かかる現象【tip of the tongue(TOT)phenomenon】がある。

これは,人名や作品名などを想起しようとしたときに,

記憶にあるという強い既知感【feeling of knowing】があり,

今少しのところで思い出せそうなのに出てこないという状態である。

反対に,未知感【feeling of not knowing】は,小国の首都名など,記憶にないために

検索できないということがすぐわかる感覚である。

こうした記憶内の情報の有無に基づく主観的評価が既知感判断である。

 そのほかのメタ認知のモニタリングにかかわる判断としては,

学習前に行なう学習容易性判断【ease of learning judgment】

(ある材料の学習難易度の判断),

学習後に行なう学習判断【judgment of learning】

(JOL:テスト成績の予想,たとえば学習した項目をどの程度思い出せそうかの判断)や

メタ理解判断【metacomprehension judgment】

(文章の理解度判断,たとえば理解テストの正答率),

事後の確信度判断【retrospective confident judgment】

(自分の答えが正しい確率の推定)などがある。

こうしたモニタリング判断の精度には,

メタ認知的知識(課題困難度や自分の能力など)や主観的な内的経験などに基づく手がかりが影響する。

モニタリングの精度が高いと,人は学習活動(時間や心的努力の配分など)を効率的にコントロールできる。



 思考にかかわるメタ認知としては,問題解決【problem solving】の途中段階で反復して行なう

解決までの近さ判断【feeling-of-warmth judgment(FOW)】がある。


問題解決には,解決までの近さ判断が漸次的に上昇する問題と,

解決の直前まで変化がなく,洞察によって解決に至る問題がある。

また,批判的思考【critical thinking】においては,自分の推論過程に誤りやバイアスがないかをモニターし,

批判的思考をどの場面で発揮するかをコントロールするメタ認知が重要な役割を果たしている。 


ソース・モニタリング →認知 →問題解決


〔楠見 孝〕

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