『落ち込み少女』第1章その6 5月 29, 2019 その5←ここをクリック しかし二週目に突入した頃には、 その虚像への心配も徐々に薄れ、 自分の置かれている現状の危うさに直面していた。 ボッチなのだ。もう一度言おう。 僕はボッチなのだ。 まずい…。 これは一人が寂しいとかじゃない(いや、寂しいのもある)、 学校生活を送る上で必要な情報がいろいろ不便になる。 僕はボッチを回避するため、勇気を振り絞って、 ぱっと見て自分に似たタイプに話しかけ始めた。 なぜか人間は教わらなくても自分と 同じタイプの人間を見極めることが出来る。 今では、学校で会えば、 世間話を話し合えるほどの関係の男友達は何人か出来た。 しかし、出遅れた感は否めない。 そりゃそうだ。 僕がそいつらに話しかけるようになったのは 入学式を終えて二週間もたった後のことなのだから。 そのせいか自分から話しかけないと、男友達は寄ってこない。 向こうからこちらにくることは、あまりない。 まぁ、最初はこんなもんか。 とりあえず、話しかける奴が出来ただけでも良しとしよう。 続き←ここをクリック 共有 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ ラベル オリジナル小説 共有 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
重いものと軽いものを地面に落としたら? 4月 23, 2019 重いものと軽いものを地面に落としたら どっちが早く落ちるのか? 結論からいうと、どちらも変わらない。 (*しかし、空気がある世界では、より軽く、よりやわらかく、 表面積が大きいものが 遅く落下する。 ペラペラの紙切れがゆっくり落ちていくのが最たる例である。) 物理学の世界では、 物体を自然と落とすことを 自由落下 という。 では、なぜ重いものと軽いものが 同時に落ちるのか、思考実験といわれる 頭の中で実験をして確かめてみよう。 空気抵抗が無いもの、つまり 真空中 と 仮定して話を進めてみる。 【真空中…空気が全くない状態。】 1gのものと、1gのものを同時に落としたら、 同じ速度で落下することは納得できると思う。 では、1gのものと2gのものは? と考えてみよう。 2gのものは1gのものを1+1=2個くっつけただけであり、 それ以上のものではない。 くっついたというだけのことで落下速度が速くなるのであれば、 分割すれば遅くなる ということが推論できる。 じゃぁドンドンと分割していくと、 そのうち落下しないで 空中に止まったままになるのか? とまぁこんな感じの思考実験をすることで ある程度納得できるのではないかと思いますが、どうだろうか ? では、実際に理論的に説明していこう。 重い物に働く重力の方が軽い物に働く重力より大きい。 重力 (mg) =質量 (m) ×比例係数 (g) … ① この公式は中学物理で出てくるものである。 比例定数は重力加速度=gと呼ばれ、 厳密には g= 9.80665[m/s² ] と定義されている。 同じ力を加えても 重い物 の方 が 軽い物 より 動かしにくい 。 加速度 ( a : m /s 2 ) =加える力 ( F: N) /質量 ( m: kg) … ② ②…これを運動方程式という 【*物理学で力は記号でFを表す。単位はN。】 これも経験があるのではないだろうか。 次のような経験がないだろうか? ・同じ重さなら加える力が大きいほど良く加速する。 ・同じ力なら軽い物ほど良く加速する。 物体に加える力が重力だけの場合は、 ①を②に代入して、 加速度=加 続きを読む
DLVOの理論 7月 27, 2019 1,DLVOの理論とは 二つの 界面* が近づくときの、 【 *… 気体と 液体 、液体と液体、液体と 固体 、固体と固体、固体と 気体 のように、 二つの相が互いに接触している境界面】 電気二重層間の相互作用に基づいた 疎水コロイド溶液の安定性に関する理論。 これはデリャーギンと ランダウ (1941)と フェルヴァイとオーヴァベック(1948)が それぞれ独立に導いたので四人の名前で呼ばれている。 電解質水溶液中で、正または負に帯電している界面に対して、 反対符号の イオン はこれと中和するように分布すると考えると、 その濃度に基づく 電位 φ は界面からの距離 d に関して 指数関数的に減少する。 すなわち φ=φ 0 exp(-κ d ) となる。 φ 0 は界面に固定されるイオン層の電位で、 κ は定数であるが電気二重層の厚さを表現する基準となる値で である。 ここで, z はイオン価, e は電気素量、 n はイオンの濃度(イオンの数/cm 3 )、 ε は溶液の誘電率、 k は ボルツマン定数* 、 T は絶対温度である。 共存イオンの影響で、電気二重層の厚さが変化すると考えると、 この式から シュルツェ‐ハーディの法則* も たくみに説明可能である。 リンク 続きを読む
儀礼的無関心 2月 18, 2019 1,電車での出来事 電車の中では、 ふつうであれば夫婦や親子など 親密な関係にある人間しか 入ることを許されない密接距離や、 友人同士で用いられる個体距離のなかに 見知らぬ他人 が入りこんでくるということから、 別の規則が派生してくる。 私たちはたまたま電車で隣り合って座った人と 挨拶を交わたりしないし, ふつうは話しかけることもない。 私たちはあたかも 自分の 密接距離 や 個体距離 のなかに 人がいることに 気がつかないかのように、 それぞれ新聞や雑誌を読んだり、 ヘッドホンをつけ 音楽を聴いたり、携帯電話をチェックしたり、 ゲームをしたり,あるいは 目をつむって考えごとをしたりしている。 それはあたかも 物理的に失われた距離を心理的距離によって 埋め合わせているかのようである。 アメリカの社会学者 E. ゴフマン( 1922 ~ 82 )は, 公共空間のなかで人びとが示す このような態度を 儀礼的無関心 と呼んだ。 2、具体的に儀礼的無関心とは どのような状態で 行われるのか? 「そこで行なわれることは、 相手をちらっと見ることは見るが、 その時の表情は相手の存在を認識したことを 表わす程度にとどめるのが普通である。 そして、次の瞬間すぐに視線をそらし、 相手に対して特別の好奇心や 特別の意図がないことを示す。」 電車のなかで他の乗客にあからさまな 好奇心を向けることが 不適切とされるのはそのためである。 たとえば, 電車のなかで他の乗客をじろじろ眺めたり, 隣の人が読んでいる本を のぞきこんだりすることは不適切と感じられる。 例外は子どもである。 子どもは他の乗客を指差して 「あのおじさん変なマスクをしてる」 と言っても大目にみられるし, 逆に子どもに対してはじっと見つめることも, 話しかけることも許され 続きを読む
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