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デカルト



1,ルネ・デカルトとは





フランスの哲学者、数学者。3月31日、フランスの中部トゥレーヌ地方のラ・エイ生まれ。

[伊藤勝彦]



2,生涯



父ジョアシャンJoachim Descartes(1563~1640)はブルターニュ高等法院評定官。

10歳のときイエズス会のラ・フレーシュ学院に入学した。

そこで教えられたスコラ的学問に飽き足らず思い、

卒業後は「世間という大きな書物」において学ぼうと決意して旅に出る。



1618年、志願将校としてオランダ軍に入り、

オランダの医師イサーク・ベークマンIsaac Beeckman(1588―1637)と知り合い、

物理数学的研究への刺激を受け、やがて「普遍数学」の構想に達する。


この年(1618)、ドイツで三十年戦争が起き、旧教軍に入る。

1619年11月10日のこと、1日の休暇をドナウ川のほとりの小村で過ごすこととなったが、


終日炉部屋の中でただひとり閉じこもり静かに思索にふけった。


この夜、三つの夢をみたが、そのなかで真理の霊がによって送られてきたと感じ、

哲学全体を彼一人の力で新たにする仕事をから与えられたと信じた



1620年、軍籍を離れて旅に出、北ドイツ、オランダを経てフランスに帰り、

やがてまたイタリアに出かけ、1625年からはパリに滞在、メルセンヌなどの自然研究者と交わる。




 1628年秋、長年心にあった学問改革の計画を実行する決意を固め、

オランダに移住し、以後20年間各地を転々としながらオランダに隠れ住む。

その最初の9か月間、形而上(けいじじょう)学の短論文の執筆に従事したが、

1629年3月、弟子のレネリHenricus Reneri(1593~1639)からイタリアで観察された

「幻日現象」の解明を求められたことを機縁として、中途で自然研究に転じ、

やがてそれは全自然学を包括する『宇宙論』の構想へと発展していく。


これが完成し、いざ印刷というときにガリレイ事件が起こる。

1633年6月23日、ガリレイコペルニクスの地動説を支持したために、

ローマの宗教審問所から有罪の宣告を受けた。

これを知ったデカルトは、地動説を重要な内容とした『宇宙論』の公刊を断念、

そのかわりに1637年、『方法序説』および

『屈折光学』『気象学』『幾何学』の3試論を世に問うた。

さらに1641年には形而上学の主著『省察』を出し、1644年には『哲学原理』、1649年には『情念論』を刊行する。

この前後からデカルト思想の革新性が世に注目され始め、さまざまの論争に巻き込まれていく。


こうして、かつて「自由の国」としてたたえたオランダもしだいに住みにくくなった。

おりしも、スウェーデンのクリスティーナ女王から熱心な招請があったので、

1649年秋、ストックホルムに赴くが、5か月たらずの滞在ののち肺炎となり、1650年2月11日、同地で54年の生涯を閉じた。


[伊藤勝彦]



3,思想と著作



近代哲学の父といわれる。


数学者としては、幾何学に代数的解法を適用した解析幾何学創始者として知られている。


数学的明証性を学問的認識の模範と考え、数学的方法を一般化して「普遍数学」の構想に到達した。

物理数学的研究を通じて、たとえば、物には重さという実在的性質があるから落下する傾向をもつのだ、

と説くようなスコラ的自然学ではどうしても満足できなくなって、

物質即延長」と説く機械論的自然観に導かれた。

ところが、この物質即延長というテーゼは、物質現象の数学的解法を可能にするばかりでなく、

人間の精神性・自由意志を確保するという役割を果たすことに気づくようになる。

ここから、自分の道徳的・宗教的関心と

新しい数学的自然学を一つの体系において統一することができるという確信を得て、

新しい哲学の建設を企てるに至ったのである。



その哲学体系は1本の樹に例えられ


形而上学自然学医学・機械学・道徳の三つで、この最後の道徳こそ人間的知恵の究極だという


[伊藤勝彦]



4,精神の自叙伝



1637年に公刊された『方法序説』は、

良識bon sensはこの世でもっとも公平に配分されているものであるということばで始まる。


この書は、しばしば思想の領域における人権宣言と称されてきた。


しかし、深くこの一文を読めば、そこに秘められている懐疑的調子は覆い隠しがたい。

けっして良識の普遍性を楽観していたのではない。

その証拠に、「すべての人は同一の自然的光(サンス)を備えているから、

彼らは同じ観念を抱いているはずだと思われる。

ところが、……この光を正しく使用する人は、ほとんど絶無なのだ」

と断言しているくらいである。


いうまでもなく、彼は事実としての人間理性の平等を主張しているのではない。

むしろ反対に、いまはどこにも存在しない理性能力の平等な発現

未来において実現しようではないか、と人々に訴えかけているのである。

そのためには、なによりも理性を順序正しく導くところの方法が必要だといっているのである。



 さて、この書はなによりも「方法の話」である。

『彼(つまり著者自身)の理性を正しく導き、

諸学における真理を探求するための方法についての話、

ならびに、この方法の試みである光学、気象学および幾何学』というのが、詳しい題名であった。


ギリシア語の方法methodosは、meta(に従って)+hodos(道)ということだが、

この語源どおり、自分がどういう道筋に従って真理を探求してきたかを示してみせただけのことで、

人がそれを手本として見習うかどうかは本人の自由意志にゆだねられている。



 デカルトの方法の四則というのは、驚くべきほど単純なものである。

要するに、もっとも単純な諸事実の明証的直観と、これらを結合する必然的演繹という二つに帰着する。

しかし、その方法を実際に駆使して、自然認識形而上学的認識を導き出したばかりでなく、

「生活の指導、健康の保持、すべての技術の発明」にも役だつような知識を導き出したのである。

この書はフランス語で書かれた最初の哲学書であり、

その意味でも記念碑的著作であった。

[伊藤勝彦]



5,第一哲学としての形而上学



デカルト形而上学の内容は『省察』においてもっともよく示されている。

この書の第1版の表題は、

『神の存在と霊魂の不死が証明される第一哲学の省察』となっている。

しかし、実際には、精神の不死そのものを直接の結論とする論証が示されているわけではない。

そこで第2版では、より正確にこの書の内容に添うように、

神の存在、ならびに人間の精神と身体との区別

が証明される第一哲学の省察
と改題された。




 デカルトの形而上学的思索は、いわゆる方法的懐疑から出発する。

学問において確実な基礎を打ち立てようとするなら、

少しでも疑わしいものはすべて疑ってみることだ。

感覚はときとして誤るものだから信頼できず、

私がいまここに、上着を着て炉端に座っているということも、

これが夢でないという絶対の保証はないから信じられない。

だが、こうして世界におけるすべての物の存在を疑わしいとして退けることができても、

このように考え、疑いつつある私自身の存在は疑うことができない。



このようにして、


われ思う、故にわれ在


(コギト・エルゴ・スムcogito ergo sum、ラテン語)という根本原理が確立され、

この確実性から世界についてのあらゆる認識が導き出される。



 私は疑いつつあるのだから不完全な存在である。

その不完全な存在から完全なる存在者の観念が結果するはずがない。

なぜなら、原因のうちには結果におけるのと同等、

あるいはそれ以上の実在性がなければならないことは理の必然であるから。

そこで、私のなかにある神の観念がどこからきたかといえば、

それは無限に完全な存在者、つまり神自身に違いないといわざるをえない。



ここから、神の存在が証明される(結果からの証明)。

このほか、神の無限なる完全性という概念的本質のうちには必然的に存在が含まれている。


存在も完全性の一つなのだから、存在を欠いたというのは、

一つの完全性を欠いた最高の完全性というに等しい自己矛盾的概念なのだと説く、

いわゆる「本体論的証明」によっても神の存在が結論される。



 さらに、が完全な存在者である以上、誠実であり、人を欺くはずがないということから、

われわれが明晰(めいせき)判明に認識するとおりに物体が存在することが結論される。

物体(身体)の存在が証明されたのち、精神思考することによってのみ、すなわち身体なしにも存在しうるものであり

身体はただ延長をもつものである限りにおいて存在するものであることが確認され、

こうして心身の実在的区別が論証され、スコラ的自然観の根本前提、

つまり実体形相の思想目的論的考え方が徹底的に打破されると同時に、

自由意志の主体としての精神の自立性が確認されたのである。

[伊藤勝彦]



6,情念と道徳



精神身体とを厳しく分離する二元論の立場に徹底してきたが、

生涯の終わり近くになって、精神であると同時にまた身体でもある不可思議な存在、つまり人間を論ずるに至った。

すなわち、心身関係の問題を詳細に論じた情念論を執筆したのである。



 人間の基本的情念として、

驚き憎しみ欲望喜び悲しみの6つをあげている。


これらの情念はすべて外的対象の刺激に応じて、

身体のうちに引き起こされた動物精気の運動によって生じたもので、

精神自らの力で引き起こされたものではない。


しかし、そのことは自覚されないので、

情念の働きが精神それ自体のものとして受け取られ、

理性的意志によって統制されないまま、内部から激発する。

そこで、これに対処するためには、そのメカニズムを客観的、

機械論的に分析して、その原因を認識し、それによって情念を主体化すること、

すなわち、

それのもつ受動性能動性に変えて自由意志の能動性に合一させることが必要となる。

ここから、理性的意志によって情念を徹底的に支配し、

断固たる判断を下す「高邁の心」を説くデカルト道徳が生まれてくるのである。


[伊藤勝彦]






『三宅徳嘉・所雄章・三輪正他訳『デカルト著作集』

全4巻(1973/増補版・2001・白水社) 


▽野田又夫他訳『世界の名著27 デカルト』(1978・中央公論社) 

▽三木清訳『省察』(岩波文庫) 

▽落合太郎訳『方法序説』(岩波文庫) 

▽伊吹武彦訳『情念論』(角川文庫) 

▽伊藤勝彦著『デカルト・人と思想』(1967・清水書院) 

▽伊藤勝彦著『デカルトの人間像』(1970・勁草書房) 

▽所雄章著『人類の知的遺産32 デカルト』(1981・講談社) 

▽野田又夫著『デカルト』(岩波新書)』




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