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走性



1,走性とは





生物が外部からの刺激に反応し、
刺激源に対して方向性をもった移動運動を行うことをいう。


この移動運動の結果、生物が刺激源に近づく場合を正の走性
遠ざかる場合を負の走性という。


また、刺激の種類によって、走化性(化学物質が刺激となる)、


走光性(光)、走熱性(温度)、走電性(電流)、


走触性(物理的接触)、走地性(重力)、走湿性(湿度)、


走流性(水流、気流)などが区別される。


[高橋景一]







2,狭義の走性




走性という言葉は、厳密には生物の個体が体軸を刺激源に対して

一定の方向に向けて(定位して)移動運動を行う場合に限って
用いるべきであるとする考えがある。


このような走性は、狭義の走性、
または指向走性(トポタキシスtopotaxis)ともよばれ、

その定位機構によって次のように分けられる。





(1)転向走性(トロポタキシスtropotaxis) 




感覚器官、神経系、運動器官が、左右対称に配置された動物にみられる走性で、



左右の感覚器官が受ける刺激の強さに差があると、


感覚器官と運動器官とを結び付けている神経系の作用によって


左右の運動器官の活動に差が生じ、


両側の感覚器官が均等な刺激を受けるようになるまで体軸が回転する。




左右の感覚器官が受ける刺激が均等になると、体軸の回転は止まり、


動物はその方向に直進する。


転向走性は、光や重力のようにはっきりとした方向性をもつ


刺激に対する反応としてみられるもので、


単一の刺激源に対しては直進し、二つまたはそれ以上の刺激源がある場合には、


それぞれの強度と方向とを合成した経路に沿って進む。


光に対する転向走性を示す


動物の片方の目を黒く塗りつぶすなどして機能を失わせ、


一様な散光照明の下に置くと、正の転向走性を示すものでは


失明した側から遠ざかる方向に、


負の転向走性を示すものでは失明した側に向かう方向に、


ぐるぐると円を描いて運動し続ける。






(2)屈曲走性(クリノタキシスklinotaxis) 

ハエのウジは、蛹(さなぎ)になる前に、はっきりとした負の走光性を示し、暗い所へ向かって進む。

このとき、ウジは前端部を左右に振り、
後方からの光が左右の側面に交互に当たるようにする。

左右に当たる光の強度が等しければ光源からまっすぐに遠ざかっていく。


これは、体軸が傾いていると、片側に当たる光の強度に応じて


前端部が反対側に大きく振れることによると考えられている。



この場合、左右に体を振ることが前進方向を決定する機構のなかで重要であり、


転向走性のような感覚器の対称的配置はかならずしも必要でない。





(3)目標走性(テロタキシスtelotaxis) 


走光性において、転向走性や屈曲走性のように


感覚器官に対する左右の刺激強度のバランスを必要とせず、


一方の目だけでも目標に向かって進むものをいう。



明暗だけでなく、対象物の像を見ることのできる目(カメラ眼)をもつ動物にみられる。


目標走性では、同時に複数の刺激源があっても、


転向走性のようにその作用は合成されず、中枢神経系の働きによって


一つの刺激源を除いて他はすべて無視される。




 以上のような狭義の走性は、比較的単純な体制をもつ動物や、

単細胞生物において明確に認められるもので、


その生物に遺伝的に備わった定型的行動とみなすことができる。


[高橋景一]







3,広義の走性






狭義の走性とは違って、刺激源に対する個体の定位がなくても、

刺激源に近づいたり刺激源から遠ざかったりする反応がおこる場合がある。


このように、刺激によって、生物の移動運動に体軸の定位を含まない変化が生じる


現象はキネシスkinesisとよばれる。


広義の走性にはキネシスによるものが多い。




 大腸菌やサルモネラ菌などのバクテリアは、


螺旋(らせん)状の鞭毛(べんもう)を回転させて水中を泳ぐ。


水中に糖やアミノ酸のような物質があると、


その濃度上昇を感じる方向には滑らかに泳ぎ続けるが、


泳いでいて濃度下降を感じると、鞭毛運動の一時的な乱れによる


方向転換が頻繁におこるようになる。



この方向転換自体は無定位的なものであるが、このような反応の結果、


バクテリアは糖やアミノ酸の濃度の高い場所にしだいに集まってくる。


すなわち、正の走化性を示す。



この例のように、刺激によって方向転換の頻度や程度が


変化するキネシスをクリノキネシスklinokinesisとよぶ。




これに対し、刺激によって方向転換ではなく


前進運動の速度に変化が生じるキネシスはオルトキネシスorthokinesisとよばれる。



ワラジムシは、乾燥した所では速く、湿った所では遅く前進する。


これは湿度によるオルトキネシスの例で、


ワラジムシが乾いた場所を避け湿った場所に集まるのを助けている。



 広義の走性は、生物の個体ばかりでなく、


多細胞生物の個体を構成する細胞や生殖細胞においても認められ、


生物が生きていくうえで重要な意味をもっている。


白血球は走化性によって炎症部や体内の異物に集まる。


精子には走化性によって卵細胞に到達するものがある。


細胞粘菌類に属するタマホコリカビでは、


走化性によって多数のアメーバ細胞が集合し偽変形体を形成する過程が詳しく研究されている。


高等生物の形態形成にも細胞の走性が重要な役割を果たしていると考えられる。



[高橋景一]





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