1,無限とは

有限に対立する概念。文字どおりには限りのないことを意味する。
漢語としては「無極」「無尽」「無辺」のほうが、無限の意味を伝える。
哲学的な意味での無限の取扱いで注目されるのは、ギリシアにおける「アペイロン」apeironだろう。
これは「ペラス」perasつまり「有限」に対立するが、
それがすべての生成の源とするアナクシマンドロスの立場から、
両者を生成の原理として万物が内包するものと考えるプラトンの立場まで、
比較的積極的な概念として認めようとする態度と、
ピタゴラス派のように数の対立概念とする立場や、
それを存在するものの「外に」認めようとするアリストテレスの立場など、
消極的な概念として理解する態度の双方があった。
ちなみに、ギリシアでは宇宙は有限であって、空間の無限性は通常考えられていない。
時間については、積極的な主張としてはかならずしも明らかではないものの、
とりわけ未来に関しては開かれており、実質上無限であるとみなせる。
キリスト教神学では、無限は単に有限の極ではなく、神に帰せられ、その意味で実体化された。
われわれは神において無限を真なる存在として知ることができる。
中世では、空間の有限性に関してギリシアを受け継ぎ、
時間の有限性に関してはむしろその終末論的な場面で積極的に主張することになった。
空間の無限性のアイデアは、
神の空間性からそれを導いたニコラウス・クザーヌスに始まり、ブルーノに結晶する。
この立場は汎神(はんしん)論に近づく。
無限を数学的に扱う試みとしては、
カバリエリを先駆的に、ライプニッツ、ニュートンらの微分・積分法などがあり、
そこには無限小の問題も含まれている。
哲学的にはカント、ヘーゲルの探求のなかに、無限は主題的に扱われるが、
なんといっても、無限の技術的な定式化に目覚ましい成功を収めたのは、近代数学とくに集合論の分野であった。
デーデキントは、無限を定義して次のようにいう。
ある集合M と、その真部分集合M'との間に一対一対応がつく場合に、
集合M は無限集合である。
たとえば自然数の集合は、その部分集合である偶数の集合と一対一に対応するから、無限集合である。
これは全体が部分に等しいことを意味しており、その意味では常識に反する。
無限とは、このような常識に反するようなものとして定義されることになる。
なお有限集合ではこれが成り立たない。
さらに無限の程度にも区別をたてられるとされ、その「濃度」が問題にできるようになっている。

[村上陽一郎]
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