スキップしてメイン コンテンツに移動

『落ち込み少女』第1章その18






その17←ここをクリック


放課後、屋上で待つ。



果たし状か?

いろいろツッコミどころがありすぎる。



まさか、屋上に僕を呼び出してリンチでもするつもりなのか?






しかし、筆跡をみると、全体的に丸みをおびているし、


書道素人の僕からみても達筆だ。


不良がこんな文字を書けるとは、思わないし思えない。


もしかすると、これは女の子の筆跡かもしれない。


これだけじゃ、いじめなのかどうかも分からない。


そもそも誰が書いたんだ?


そうだ、まずは名前だ。



内容にばかり注意を向けていたけど、


ここで肝心なのは、何が書かれているのかではなく、


誰が書いたのか、だ。



手紙の裏の右端だ。



                       平木尊




...おぉ。

まったく彼女には唯我独尊という言葉がお似合いな気がした。


昨日から僕は彼女に振り回されっぱなしだ。


いや、2週間前からか


そもそもこれは僕宛のものなのか。



よくよく考えたら、僕の人生で下駄箱に


手紙を入れられる因となった言動なんて起こしたことがないはずだ。


もしかしたら間違えて僕の下駄箱に入れたっていう可能性もある。

キーンコーンカーンコーン。


チャイム音が聞こえた。

やばい、ホームルームが始まる。

宛先と目的が分からない手紙を乱雑に鞄にしまい、廊下を走った。

いつもは律儀に一つ一つ登る階段も

今日は2段飛ばしで13組の教室がある

4階に駆け上がっていった。


教室の時計を見ると、4分遅れだ


みんなの視線が僕に集まっている。


高校生活最初の中間テストの話をしていた

秋山先生も僕の突然の登場に少し驚いたようで、


少し不機嫌そうに見えた。


たぶん話を途切れさせられたからだろうな。



「羽塚、遅刻か。」

「はい、すいません。ハァハァ」


先生は名簿の僕の出席欄に遅刻をつけようとしている。

最悪だ。


あの時代遅れの下駄箱の手紙のせいだ。


まぁ4分でも遅刻は遅刻なんだから、仕方がないか。



先生は書き始めたペンを止め、二重線を引いた。


「まぁいい、早く座れ」

いい先生だ。

僕はお辞儀をして、自分の席に向かい、座った。

右隣を見ると、昨日と同じ光景だ。

彼女は今日も学校に来ている。

しかし僕の方向を見る気配がない。

やっぱりあの手紙は僕宛じゃないのか。

それとも、違う誰かがイタズラで平木の名前を使ったのか。


だとしたら、タチの悪いイタズラだ。


いや、にしてもだ。


平木を知っている奴なんているのか。

いや、同じ中学ならあり得るか。



それか、本人も承諾した上でのイタズラなのかもしれない。


その可能性も十分に有り得る。


人の厚意を全否定するような奴だ。



僕は授業中も答えの出ない自問自答を心の中で繰り返していた。



昨日と同じように授業が進んでいった。


しかし昨日よりかはスムーズに進んでいる。

僕は反省をしたのだ。


決して右隣を見ずに代わりに僕は自分の世界に入った。


しかし一つの心残りがある。


あの手紙だ。


あの手紙がこの先いったい僕に


何をもたらすのかを知る由もなかったのだ。





今日もいつも通りホームルームを終え、帰り支度をしている。

正直、屋上に行こうとは思えなかった。





今日1日平木が僕に話しかけることはなかったし、


本当にあんな手紙を出したのならば


一言言うのが礼儀ってものだろう。



「羽塚くん」


軽い声が僕の名前を呼んだことに気づいた。

聞き慣れない声だ。


しかし僕はこの声の主が誰かを昨日から知っている



「何?」



「屋上で待ってるわ」


僕が声をかけるよりずっと早く彼女は鞄を肩にかけ、

早々と教室を出ていった。


やっぱり君だったのか。



もう行くしかないな、これは。


こんな短い間に考えが180度変わったのは

たぶん生まれて初めてだ。



僕は帰宅する気満々だった心を転換させ、


まだ一度も行ったことがない屋上へ向かおうとした。


続き←ここをクリック





コメント

このブログの人気の投稿

重いものと軽いものを地面に落としたら?

重いものと軽いものを地面に落としたら どっちが早く落ちるのか? 結論からいうと、どちらも変わらない。 (*しかし、空気がある世界では、より軽く、よりやわらかく、 表面積が大きいものが 遅く落下する。 ペラペラの紙切れがゆっくり落ちていくのが最たる例である。) 物理学の世界では、 物体を自然と落とすことを 自由落下 という。 では、なぜ重いものと軽いものが 同時に落ちるのか、思考実験といわれる 頭の中で実験をして確かめてみよう。 空気抵抗が無いもの、つまり 真空中 と 仮定して話を進めてみる。 【真空中…空気が全くない状態。】 1gのものと、1gのものを同時に落としたら、 同じ速度で落下することは納得できると思う。 では、1gのものと2gのものは? と考えてみよう。 2gのものは1gのものを1+1=2個くっつけただけであり、 それ以上のものではない。 くっついたというだけのことで落下速度が速くなるのであれば、 分割すれば遅くなる ということが推論できる。 じゃぁドンドンと分割していくと、 そのうち落下しないで 空中に止まったままになるのか? とまぁこんな感じの思考実験をすることで ある程度納得できるのではないかと思いますが、どうだろうか ? では、実際に理論的に説明していこう。 重い物に働く重力の方が軽い物に働く重力より大きい。 重力 (mg) =質量 (m) ×比例係数 (g) … ① この公式は中学物理で出てくるものである。 比例定数は重力加速度=gと呼ばれ、 厳密には  g= 9.80665[m/s² ]  と定義されている。 同じ力を加えても 重い物 の方 が 軽い物 より 動かしにくい 。 加速度 ( a :   m /s 2 ) =加える力 ( F: N) /質量 ( m: kg)    … ②  ②…これを運動方程式という 【*物理学で力は記号でFを表す。単位はN。】 これも経験があるのではないだろうか。 次のような経験がないだろうか? ・同じ重さなら加える力が大きいほど良く加速する。 ・同じ力なら軽い物ほど良く加速する。 物体に加える力が重力だけの場合は、 ①を②に代入して、 加速度=加

DLVOの理論

1,DLVOの理論とは 二つの 界面* が近づくときの、 【 *… 気体と 液体 、液体と液体、液体と 固体 、固体と固体、固体と 気体 のように、 二つの相が互いに接触している境界面】 電気二重層間の相互作用に基づいた 疎水コロイド溶液の安定性に関する理論。 これはデリャーギンと ランダウ (1941)と フェルヴァイとオーヴァベック(1948)が それぞれ独立に導いたので四人の名前で呼ばれている。 電解質水溶液中で、正または負に帯電している界面に対して、 反対符号の イオン はこれと中和するように分布すると考えると、 その濃度に基づく 電位  φ は界面からの距離  d  に関して 指数関数的に減少する。 すなわち φ=φ 0  exp(-κ d  ) となる。 φ 0  は界面に固定されるイオン層の電位で、 κ は定数であるが電気二重層の厚さを表現する基準となる値で である。 ここで, z  はイオン価, e  は電気素量、 n  はイオンの濃度(イオンの数/cm 3 )、 ε は溶液の誘電率、 k  は ボルツマン定数* 、 T  は絶対温度である。 共存イオンの影響で、電気二重層の厚さが変化すると考えると、 この式から シュルツェ‐ハーディの法則* も たくみに説明可能である。 リンク

儀礼的無関心

1,電車での出来事 電車の中では、 ふつうであれば夫婦や親子など 親密な関係にある人間しか 入ることを許されない密接距離や、 友人同士で用いられる個体距離のなかに 見知らぬ他人 が入りこんでくるということから、 別の規則が派生してくる。 私たちはたまたま電車で隣り合って座った人と 挨拶を交わたりしないし, ふつうは話しかけることもない。   私たちはあたかも 自分の 密接距離 や 個体距離 のなかに 人がいることに   気がつかないかのように、 それぞれ新聞や雑誌を読んだり、 ヘッドホンをつけ 音楽を聴いたり、携帯電話をチェックしたり、 ゲームをしたり,あるいは 目をつむって考えごとをしたりしている。 それはあたかも 物理的に失われた距離を心理的距離によって 埋め合わせているかのようである。 アメリカの社会学者 E. ゴフマン( 1922 ~ 82 )は, 公共空間のなかで人びとが示す このような態度を 儀礼的無関心 と呼んだ。 2、具体的に儀礼的無関心とは どのような状態で 行われるのか? 「そこで行なわれることは、 相手をちらっと見ることは見るが、 その時の表情は相手の存在を認識したことを 表わす程度にとどめるのが普通である。 そして、次の瞬間すぐに視線をそらし、 相手に対して特別の好奇心や 特別の意図がないことを示す。」 電車のなかで他の乗客にあからさまな 好奇心を向けることが 不適切とされるのはそのためである。 たとえば, 電車のなかで他の乗客をじろじろ眺めたり, 隣の人が読んでいる本を のぞきこんだりすることは不適切と感じられる。 例外は子どもである。 子どもは他の乗客を指差して 「あのおじさん変なマスクをしてる」 と言っても大目にみられるし, 逆に子どもに対してはじっと見つめることも, 話しかけることも許され