1,純粋経験とは

理知的な反省が加えられる以前の直接的な経験、
すなわち、あとからつけ加えられた概念、解釈、連想、構成などの
不純な要因をできる限り、取り除くことによって得られた初期の意識状態をさす。
おそらくは幼児がもつと思われる、自と他、物と心といった区別が生ずる以前の未分化で流動的な意識のことをいう。
この純粋意識を基礎に置く哲学には、マッハおよびアベナリウスの経験批判論、
ジェームズの根本的経験論、ベルクソンの純粋持続の哲学などがあげられる。
これらは実証主義から形而上学までその立場に違いはあるものの、
新カント派などにみられる主知主義的傾向および
デカルト以来の物心二元論に対する根本的な批判の姿勢を有することにおいて軌を一にする。
とくにジェームズは、純粋経験をもっとも基本的な実在としてとらえ、
いっさいの観念や理論をこの直接所与、多即一の流動的実在から説明しようと試みた。
わが国では西田幾多郎(きたろう)が、ジェームズや禅仏教の影響下に、
主客未分、認識とその対象とがまったく合一した意識状態を純粋経験と名づけ、
それを自己の哲学の出発点に据えた。
[野家啓一]
『W・ジェイムズ著、桝田啓三郎他訳『根本的経験論』(1978・白水社)
▽西田幾多郎著『善の研究』(岩波文庫)』
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