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坊っちゃん






1,坊っちゃんとは


夏目漱石が、1906年に文芸雑誌「ホトトギス」に発表した小説。

漱石が旧制松山中学校に勤務した経験をもとに、

親譲りの無鉄砲」な青年教師の姿を描いた。

登場人物のモデルには諸説ある。



赤シャツ」は漱石自身とされたり、金沢市出身の考古学者、

横地石太郎とされたり。

主人公「おれ」自身、漱石ではなく、

松山中で漱石と同時期に教員をしていた

山口県出身の弘中又一だとの説もある。









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