1,遠近法とは
3次元の空間を、2次元の平面上に絵画的に表現する方法。
狭義には、ルネサンス期に確立された
数学的、幾何学的な透視図法、いわゆる線遠近法をさす。
しかし、非写実主義絵画においても、なんらかの手法によって
奥行、遠近の関係を暗示的、象徴的に表現する手法がとられたし、
また写実主義絵画においても、線遠近法とは別個に、
空間の深さを表すために、色彩による遠近表現、
いわゆる空気遠近法、色彩遠近法が探究されている。
また、なかば絵画的効果をもつ浮彫りにも、
必然的に遠近法の適用がみられる。
これらを総称して遠近法と名づけている。
遠近法の中核となるルネサンス期に確立された線遠近法は、
写実主義的な自然再現というこの時代の課題のもとに、
そして古代世界のユークリッドやウィトルウィウスの理論の継承という形で生まれた。
すでに中世後期、自然再現がしだいに画家たちの目標となりだした時期、
彼らは体験的、直観的に、線遠近法、消失点の存在を知り、
またジャン・フーケのように曲面鏡の視野などを利用している。
こうした経験的な遠近法を科学的、体系的に基礎づけ方法化したのが、
イタリア・ルネサンスの芸術家たちである。
1417年ごろ、建築家ブルネレスキが最初の実験的な試みによって
線遠近法と消失点への科学的なアプローチを成し遂げたあと、
絵画での最初の実現は、マサッチョによる
フィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂の壁画『三位一体』で果たされる。
さらに、この壁画の影響下に、建築家アルベルティが
最初の遠近法の理論を述べた『絵画論』(1436)を出版する。
この書物はブルネレスキ、マサッチョ、ドナテッロ、ギベルティらの友人に献呈されたが、
いずれも遠近法の探究を試みた芸術家たちである。
アルベルティはこの書物で、「視覚の円錐の截断面」として遠近法を定義づけた。
アルベルティはのちにピエロ・デッラ・フランチェスカと交友するが、
この画家も遠近法を画面の構図法なり明晰な視覚表現の核とした画家であり、
『キリストの笞打ち』などの大作を残す一方、
『絵画の遠近法』(1475)によって、当時の理論を集大成している。
その後も線遠近法の探究はドイツのデューラーたちによっても
さまざまに実験され、マニエリズム、バロックの時代まで、
絵画の中心的な課題として、作品の構図や様式にさえ関連するほどの重要性を担った。
たとえば、短縮や、トロンプ・ルイユ(だまし絵)の技法、
あるいは2点透視や3点透視法による構図の変化などもそれであり、
また遠近法を逆用した隠し絵などもある。
レオナルド・ダ・ビンチも遠近法に深い関心をもち、
その探究についてのノートを多く残しているが、
とりわけ彼の考察の対象となったのは、色彩遠近法および消失遠近法である。
線遠近法は、室内空間や建築、都市風景を描くのに適しているが、
自然空間、風景を対象とする場合、ほとんど効果をもたない。
たとえば、同時代のドイツの画家アルトドルファーは、
樹木を柱列のように配して、
ちょうど室内空間のような方形の空間を想定したりしているが、
部分的な効果しかもたない。
レオナルドは、遠景、中景、近景が、大気の深さによって色彩の異なること、
また物体の形がしだいにかすむことに注目し、
色彩遠近法、消失遠近法を提示し彼の作品に応用している。
この種の遠近法は、
すでに東洋の山水画において試みられていることであり、
中国宋代(11世紀)の画家郭煕の『林泉高致』で定立された
高遠、深遠、平遠の「三遠」の法、あるいは韓拙による「三遠」、
そして一般に水墨画における墨の濃淡による遠近の描出などが、
レオナルドの方法に対応する先例である。
郭煕たちの遠近描出は一種の俯瞰図法であって、
遠いものほど上に重ねる手法であるが、
レオナルドもまたこの手法を試みていることは興味深い。
西洋の中世絵画や東洋の絵画では、
食卓や畳の線が遠くなればなるほど広がる逆遠近法が用いられる場合もある。
また、一般に非写実主義絵画では、しばしば、一つの画面なり、
一つの物体に対してさえ、視点をいくつか設定している例がみられる。
これは、のちにキュビスムの多視点的な対象分析に対応するし、
またダリなどは、きわめて写実主義的手法で物体を描写しつつ、
画面に複数の視点を設定して、心理的な錯乱を意図している。
このようにみると、遠近法は単に画面に現実のイリュージョンを
再現するためのものではなく、
画家の精神的な表現を含めたすべての表現技法にかかわってくる
一例でしかないといえよう。
[中山公男]

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