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『落ち込み少女』第10章その2





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「今日は先生はいないよ」

それはかつて、保健室に行った際に僕のいらない言葉によって憤りを表した文田だった。


この少女とはあの保健室以来、会っていない。

「羽塚じゃん、懐かしいね」

「まさか文田が美術部に入っているなんてな」

「私もまさか、羽塚が美術室に来るなんて思わなかった」


僕とうっすらとくまのある目を合わせることなく、

ただ立てかけているキャンパスに筆を進めている。

「絵、上手いな」

文田の描く絵は、絵心のある人の絵だとわかった。

薄めた絵の具を何度も何度も、塗っている。

色を帯びるにつれて、ただの四角形や円形が現実味を帯びるように

建物や日の丸だということが鮮明に理解できる

保健室登校の不健康そうな少女には、こんな特技があったんだな。

「何で空が緑なんだ?」


初めて、その目が合った。

五月に会ったあの時と同じ、けだるそうな顔を僕に向けてきた。


「最近は空が緑に見えるの」


「すごいな。僕にはそんな才能ないや」

褒めるだけのつもりだったが、自分のことまで話してしまった。

文田は怪訝そうな顔をして、また絵を描き始めた。


「そういえば、あんたのクラス、体育祭の準備をやらされてるんでしょ」

「ああ、でも…」

「でも?」

「揉めてる感じなんだ」

「なら、仲裁したら?」

「僕にそんな力はないよ」

「やってみたことあるの?」

「いや、ないけど…」

「なら、わかんないじゃん」

なにを言ったらいいのかわからなくなった。

母親に怒られて、言い訳が尽きた子どものようだ。


「私はこの絵を描けるようになったのは、中学から始めて、三年くらい経っている。

あんたは才能みたいに言ったけど、何でも初めから上手くやれるわけがない」

胸がじんときた。それに少し遅れて、胸をつかれたようなショックを受けた。


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