宿題を回収した関原先生は、
チョークの白粉を落とした教卓を見ることもなく、教室を去っていた。
日直だった僕は黒板に書かれた文字を消そうと、
前に向かうと案の定、教卓は白い粉まみれだった。
迷った。
何がって?
教卓を綺麗にするべきか否かだ。
日直の役割は黒板消しと日誌を書くことだ。
それ以外は先生に指示されない限り、特に何かする必要はない。
しかし教卓を綺麗にするくらい、気づいた人間がやるべきなんじゃないか?
それが優しさってものだ。
いや、本当は汚した人間が綺麗にするべきなんじゃないか?
でも、それは薄情か。
分からない、考えがお尻のように真っ二つに割れている(この例えしか思いつかなった)。
結局、黒板の文字を消した後、ぞうきんで教卓を拭いておいた。
誰に気づかれたわけでもない。
誰も僕の善行を目視することはなかったはずだ。
用が済んだ僕は自分の座席に戻った。
そして、また窓の外を眺めていた。
これで「正しい人間」になれたのか?
悪いことをしたことがない人間なんていない。
それは誰もが思うこと。
それなら、正しいことをしたことがない人間もいないんじゃないのか?
生きていれば表立っては正しくなければならない。
意識的にしろ無意識的にしろ、正しいことの一つや二つはしてしまう。
それなら「悪人」という奴はこの世に存在しないんじゃないのか?
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