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『落ち込み少女』第13章その14

 

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「いいよ」


表情はいつもと変わらなかったが、その言葉を聞けただけで嬉しかった。


「君のことを知っていると思っていた。


君の悩みを聞いた時、僕は誰よりも知っているんだと。


でも、それは自惚れだった。


平木が好きなもの、嫌いなもの、いつどんな時に笑うのか、悲しむのか、僕は全然知らない」


嬉しさでつい、恥よりも言葉が先走ってしまった。


私は羽塚くんのことが好きよ


そんな大胆なことを僕の目を見ずによく言えるなぁ。


「でも、私が好きと言ったからって、


羽塚くんが無理に好きだとは言わないで欲しい。


責任感とか義務感を感じて、その答えを出すのは嫌だから」


そう言って両手でもっている本をめくった。


ドクッドクッドクッと、心臓が脈打つのが聞こえる。


朝に鼓動がこれほど早くなったのは、初めてだ。


「好き」という単語は何をもって言ったのかわからないが、


もしかすると今日の放課後にでも告白すれば、僕は平木と付き合えるのかもしれない。


そうすれば、バラ色に満ちた高校生活が送れるのかもしれない。


悦に浸っていても、スラスラと文字が頭の中に入ってきた。


今日の一限、世界史の横山先生は体で世界の歴史を表現する変わった先生だ。


でも無味無臭な文字の羅列を眺めることや黒板の白文字を写すよりもよっぽど面白い。


僕は自ら問い、学ぶことができるだろうか?


教科書をパラパラとめくっていると、「無知の知」というワードが引っ掛かった。


六月の初旬に習ったことを覚えている。


ソクラテスは自分が知らないことについて「それを知っている」とは思っていない限り、


政治家や詩人、職人といった知識人より知恵があると思っていたそうだ。


当時の僕は、彼が謙虚であることしかわからなかった。


ソクラテスは「知らないこと」を恥じていたのだろうか。


僕は恥じるよ、君のすべてを知らない自分に。


世界の秘密を知るために生きている君を。





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