カリスマ性とは 元来はキリスト教用語のギリシア語で神の賜物 を意味し、 神から与えられた、奇跡、呪術 、預言などを行う超自然的・超人間的・非日常的な力のことである。 こうした能力や資質をもった人がカリスマ的指導者であり、 歴史上の人物ナポレオン、ヒトラー、スターリン、毛沢東 などがあげられる。 M・ウェーバー が支配の正当性の類型化にこの概念を用いたために、 社会科学における学術用語としてはもちろん、広く一般にも用いられるようになった。 ウェーバーは、合理的支配、伝統的支配、カリスマ的支配からなる支配の三類型を定式化した。 カリスマ的支配とは、カリスマ的資質をもった指導者に対する個人的帰依 (承認)に基づく支配である。 真のカリスマは権威の源泉となり、承認と服従を人々に対して義務として要求する。 この服従と承認は、指導者の行う奇跡によって強められる。 こうして、服従者は指導者と全人格的に結ばれ、信頼と献身の関係が成立する。 この支配関係は官僚的手続や伝統的慣習または財政的裏づけに依拠せず、 指導者固有のカリスマに対する内面的な確信にのみ基づいている。 したがって、構造的にも財政的にも不安定な関係であり、服従者の帰依の源泉である カリスマの証 がしばらく現れない場合、カリスマ的権威は失墜し、指導者は悲惨な道をたどることになる。 しかし、カリスマが有効に作用する限り、遠回しの手続を必要としないので、 危機的状況や革命的状況に適した支配パターンといえる。 ところで、カリスマが血統や地位のなかに日常化されて、 地位そのものにカリスマが生じる「官職カリスマ」とか、 カリスマが代々受け継がれていく「世襲カリスマ」となる場合がある。 また、カリスマが組織や制度に定着することもある。 今日の政治社会では、マス・メディアを通じた情報操作によって擬似カリスマをつくり、 支配の正当化を図ることがよくみられる。 [大谷博愛]
ポストモダンとは 現代という時代を、近代が終わった「後」の時代として特徴づけようとする言葉。 各人がそれぞれの趣味を生き、人々に共通する大きな価値観が消失してしまった現代的状況を指す。 現代フランスの哲学者リオタールが著書のなかで用いて、広く知られるようになった。 リオタールによれば、近代においては 「人間性と社会とは、理性と学問によって、 真理と正義へ向かって進歩していく」 「自由がますます広がり、人々は解放されていく」といった 「歴史の大きな物語」が信じられていたが、 情報が世界規模で流通し人々の価値観も多様化した現在、 そのような一方向への歴史の進歩を信ずる者はいなくなった、 とされる(『ポスト・モダンの条件』1979年)。 また、ポストモダンという言葉は、ポスト構造主義の思想傾向を指す言葉としても用いられ、 その際はポスト構造主義とほぼ同義である。 唯一の真理をどこかに求めようとする思考を徹底的に批判しようとしたデリダ、 近代は自由を求め拡大したのではなく、 むしろ人々の内面と身体を管理する技術を発達させたと述べたフーコーなどは、 共に、近代的な物語を解体しようとした思想家として見られるからである。 (西研 哲学者 / 2007年)