1,シェハリオンの実験
みなさん、いきなりですが、地球の重さを知っていますか?
10を24回もかけている時点で、
もうとてつもない重さということはお分かりになると思います。
もうとてつもない重さということはお分かりになると思います。
実はこれは公式を用いれば案外すぐに出すことができます。
高校物理で習う重力加速度の運動方程式 F=mgと
万有引力による式 F=G Mm/R² がつりあっている。
g:重力加速度9.8m/s²
R:地球の半径≒6.4×10⁶mが分かっていることを前提に
【*半径の求め方はここでは割愛】
しかし、公式も生み出されていなかった時代、
この重さってどうやって測ったのでしょう?
まさか地球を測る計量器なんて存在しませんよね?
実はこれは過去の科学者たちが頑張ってくれました。
今回は少し過去に戻って科学者の足跡を追っていきましょう。
アイザック・ニュートンは1687年に自身が刊行した
当時イギリスで最も有名な『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』の中で、
下げ振り(糸の先に重りをつけたもの)は常に地球の中て鉛直方向に吊り下がるが、
近くに山がある場合には、例外的に山の方へ少し引っ張られると指摘し
これは巨大な山が生み出す引力による影響だと説明しています。
ニュートンはこの引力を「山々の引力」と名づけましたが、この力はあまりに小さく、
簡単に計測できるものではありませんでした。
2,山々の引力を測る
それから80年後、
王立グリニッジ天文台の長だった天文学者の
王立グリニッジ天文台の長だった天文学者の
ネヴィル・マスケリンは山がもたらす引力の影響を計測できるなら、
地球の質量を計算できるのではないかと気づきます。
山のそばで下げ振りをたらす方法があれば、
どれほど横に引っ張られるかを測って山の質量を推定し、
さらに地球の質量を推定できるのです。
この実験は、地球の質量にとどまらず、
月、太陽、その他の惑星の質量を計算可能にするという点で
非常に重要な意味を持っていました。
1772年、マスケリンは王立協会に実験を提案します。
実験のアイデアを承認した王立協会は、調査官チャールズ・メイソンに
スコットランド周辺を馬で旅をされ、最適な山を探し回らせました。(くそ面倒臭いですね)
夏一杯かかった長い調査旅行から戻ったメイソンは、自分が調べた中では
パースから72km北に位置するシェハリオン山が最適だと報告しました
①誰が実験すべきか?
メイソンは実際の実験への参加は辞退しました。
マスケリンもすぐさま、多忙を理由に参加できないと言い張りました。
そもそもマスケリン王立天文台の台長であり、
実験に出向くためには国王の許可が必要でした。
ところが彼の意に反して、国王は実験に非常に乗り気になり
マスケリンが一時的に天文台を離れる許可を与えてしまいます。
そのためマスケリンは、グリニッジの居心地の良い宿舎を渋々離れ、
船で北のパースへと向かったのでした。
馬に乗りかえ、スコットランド高地と足を踏み入れました。
②山での実験
標高1,083mのシェハリオン山は、ほぼ東西に細長く伸びた山です。
マスケリンは山の南側中腹にキャンプ(観測所)を設営しました。
避難小屋と大型テントに、正確な振り子時計と王立協会から
借りてきた3mの望遠鏡を設置したのです。
マスケリンは、下げ振りを使って「鉛直方向」を定めた上で、
頭上の星々を観測して自分がいる位置を正確に求めるつもりでした。
しかし運悪く濃い霧や雨の日が続き、まるまる2ヶ月間、
マスケリンは観測ができませんでした。
自分の正確な位置を知るために、マスケリンはさらに1ヶ月を要しました。
ようやく位置を特定できたマスケリンは、まる1週間をかけて山の北側へ移動し、
南側と同じようにして観測所を設置しました。
この間に、急ごしらえのテントに陣取った観測チームは、
距離を測るための測量用鎖、高度を測るための気圧計、
角度を測るための経緯儀などの装備を持って山を歩いて回りました。
観測チームは異なる地点で何千もの角度と高度のデータを収集し、
マスケリンが山の南北に設置した観測所間の距離を算出しました。
③観測結果の相違
マスケリンが星々と下げ振りを利用して行った観測により、
両所の見かけ上の位置が判明し、観測所間の距離が計算されました。
一方、観測チームは山の周りを歩いて距離を計測していました。
両者が求めた距離は、ちょうど436m違っていたのです。
この差が生じた原因は、
マスケリンの下げ振りが山の引力に影響され、歪んだ「鉛直方向」を指し示したためです。
観測結果の差はマスケリンが期待したほどには大きくありませんでしたが、
地球の平均密度が山の平均密度よりもはるかに大きいことを示していました。
この結果は、当時まで残っていた、
地球はテニスボールのように空洞であるという説に
地球はテニスボールのように空洞であるという説に
終止符を打つものでした。
マスケリンは、地球の中心核は金属に違いないと、空洞説とは正反対の主張をしました。
マスケリンに残された作業は、山の質量を計測することだけになりました。
山の密度は推測可能であるため、質量を体積で割るだけでしたが、
【*d=m/l [g/m³]】
山の体積を求めるため、マスケリンは友人の数学者に助力を求めます。
チャールズ・ハットンは、観測チームが山の立体像を
把握するために行った高度の計測結果を、すべて利用できることに気づきました。
ハットンは報告書の中で、同じ高さの地点を鉛筆の薄い線で結ぶと、
山のおおまかな形状がただちに浮かび上がってきたと書いています。
すなわちハットンは等高線を発明したのです。
山の体積が判明すると、マスケリンとハットンは山の質量を計算できました。
山の質量が判明すれば地球の質量が判明します。
地球の質量は5×1021トンと計算されました。(1トン=1000kg)
前世紀にはニュートンが6×1021トンと見積もっており、
後にニュートンの方が正確だったことが明らかになります。
それでもマスケリンの英雄的な実験は、
地球の質量を量ろうとする最初の試みだったのです。
参考文献
実験でたどる物理学の歴史
著者 アダム・ハート=デイヴィス
吉田卯三郎・武居文助・橘
芳實・武居文雄 著
リンク
リンク
コメント
コメントを投稿