スキップしてメイン コンテンツに移動

防衛機制








1、防衛機制とは


精神分析の中心概念の一つ。


不安によって人格の統合性を維持することが困難な事態に直面したとき、

自我egoはその崩壊を防ぐためにさまざまな努力を無意識のうちに行うが、

このような自我の働きを防衛機制という。


自我を脅かすものとしては、一方にはその個人を取り巻く外界の厳しい現実社会があり、

他方には自分の内部のエスesイドidともいう)や超自我super-egoがある。

すなわち自我は、
快感原則に従って衝動を一方的に満足させようとするイドや、

道徳的な禁止を命ずる超自我などによっても脅かされる。



構造論から心的装置(フロイト, 1933)



自我は、こうした外的現実や内界のイドならびに

超自我の三者間の葛藤(かっとう)による不安や苦痛や罪悪感などから自身を守り、

人格の統一性を保持しようとするのである。


以下、自我による防衛機制の主要なものを取り上げる。




抑圧(英:repression)

容認しがたい思考、観念、感情、衝動、記憶などを意識から排除し、

無意識へ追いやる自我の働きをいう。

たとえば「思い出せない」「わからない」という事態はこの機制による。

防衛機制の基盤をなしているのが、この「抑圧」である。



②反動形成(英:reaction formation) 


抑圧している欲望や衝動と正反対の態度や行動をとること。

たとえば、強い性的関心が極度の性的蔑視(べっし)

無関心の態度として現れている場合である。



③投影〈投射〉(英:projection) 

自分が他人に対してもっている認めがたい考えや感情を他人に移して(人のせいにして)、

他人がそのような考えや感情をもっているとみなすこと。

たとえば、自分のなかにある他者に対する憎悪感が、

無意識のうちに他者に移され、彼が自分を憎んでいると思うことなど。



④同一化・同一視(英:identification) 

これは、外界の対象(他者)と自己とを同一とみなす場合と、

対象に属する諸性質や態度を自分のうちに取り入れて同一化する場合とがある。

たとえば、子供が親に似てくるのは、親の特徴を自分のうちに取り入れるからである。



⑤合理化(英:rationalization)

自分の行動の本当の動機を無意識のうちに隠し、ほかのもっともらしい理屈をつけて納得すること。

たとえば、『イソップ物語』に登場するキツネがとろうとしても

どうしてもとれないブドウに対して、あれは酸っぱいブドウなのだと思い込むこと。



⑥昇華(英:sublimation)


抑圧された衝動が社会的、文化的に価値ある活動に置き換えられること。

たとえば、裸婦像や裸婦画はその芸術家の性衝動の昇華とみなされる。

これは内的衝動に対する防衛機制であるばかりでなく、

学問、芸術、文化、宗教などの創造的活動の基礎をなす心理機制でもある。



⑦置換え(英:displacement)

ある状況下で容認されがたい衝動や態度を、別の対象に向け換えて不安を解消しようとする機制。

たとえば、父親に対する憎しみを職場の上司に向ける場合など。



 防衛機制にはこのほか退行、打ち消し(復元)、転換、隔離、摂取(取り入れ)、知性化、逃避、

補償、代償、攻撃、固着などが指摘されている。

防衛機制はその名称が示すように「防衛」という

消極的な心理機制であって、積極的に合理的な方法で問題解決を図るものではない。






それゆえに一種の自己欺瞞(ぎまん)的な問題処理の仕方である。

しかし、人間はすべての問題を合理的に解決することは不可能なので、防衛機制を用いざるをえない。

この点で防衛機制は人間にとって不可欠なものであるが、

あくまで適切な範囲内で用いられるべきものであり、

頻繁にこれが用いられると神経症的な症状を形成することになる。

[久保田圭伍]




『小此木啓吾・馬場謙一編『フロイト精神分析入門』(1977・有斐閣新書) 

▽A・フロイト著、黒丸正四郎・中野良平訳『自我と防衛機制』(1982・岩崎学術出版社) 

▽S・フロイト著、懸田克躬訳『精神分析学入門』(2001・中央公論新社)』


コメント

このブログの人気の投稿

重いものと軽いものを地面に落としたら?

重いものと軽いものを地面に落としたら どっちが早く落ちるのか? 結論からいうと、どちらも変わらない。 (*しかし、空気がある世界では、より軽く、よりやわらかく、 表面積が大きいものが 遅く落下する。 ペラペラの紙切れがゆっくり落ちていくのが最たる例である。) 物理学の世界では、 物体を自然と落とすことを 自由落下 という。 では、なぜ重いものと軽いものが 同時に落ちるのか、思考実験といわれる 頭の中で実験をして確かめてみよう。 空気抵抗が無いもの、つまり 真空中 と 仮定して話を進めてみる。 【真空中…空気が全くない状態。】 1gのものと、1gのものを同時に落としたら、 同じ速度で落下することは納得できると思う。 では、1gのものと2gのものは? と考えてみよう。 2gのものは1gのものを1+1=2個くっつけただけであり、 それ以上のものではない。 くっついたというだけのことで落下速度が速くなるのであれば、 分割すれば遅くなる ということが推論できる。 じゃぁドンドンと分割していくと、 そのうち落下しないで 空中に止まったままになるのか? とまぁこんな感じの思考実験をすることで ある程度納得できるのではないかと思いますが、どうだろうか ? では、実際に理論的に説明していこう。 重い物に働く重力の方が軽い物に働く重力より大きい。 重力 (mg) =質量 (m) ×比例係数 (g) … ① この公式は中学物理で出てくるものである。 比例定数は重力加速度=gと呼ばれ、 厳密には  g= 9.80665[m/s² ]  と定義されている。 同じ力を加えても 重い物 の方 が 軽い物 より 動かしにくい 。 加速度 ( a :   m /s 2 ) =加える力 ( F: N) /質量 ( m: kg)    … ②  ②…これを運動方程式という 【*物理学で力は記号でFを表す。単位はN。】 これも経験があるのではないだろうか。 次のような経験がないだろうか? ・同じ重さなら加える力が大きいほど良く加速する。 ・同じ力なら軽い物ほど良く加速する。 物体に加える力が重力だけの場合は、 ①を②に代入して、 加速度=加

DLVOの理論

1,DLVOの理論とは 二つの 界面* が近づくときの、 【 *… 気体と 液体 、液体と液体、液体と 固体 、固体と固体、固体と 気体 のように、 二つの相が互いに接触している境界面】 電気二重層間の相互作用に基づいた 疎水コロイド溶液の安定性に関する理論。 これはデリャーギンと ランダウ (1941)と フェルヴァイとオーヴァベック(1948)が それぞれ独立に導いたので四人の名前で呼ばれている。 電解質水溶液中で、正または負に帯電している界面に対して、 反対符号の イオン はこれと中和するように分布すると考えると、 その濃度に基づく 電位  φ は界面からの距離  d  に関して 指数関数的に減少する。 すなわち φ=φ 0  exp(-κ d  ) となる。 φ 0  は界面に固定されるイオン層の電位で、 κ は定数であるが電気二重層の厚さを表現する基準となる値で である。 ここで, z  はイオン価, e  は電気素量、 n  はイオンの濃度(イオンの数/cm 3 )、 ε は溶液の誘電率、 k  は ボルツマン定数* 、 T  は絶対温度である。 共存イオンの影響で、電気二重層の厚さが変化すると考えると、 この式から シュルツェ‐ハーディの法則* も たくみに説明可能である。 リンク

儀礼的無関心

1,電車での出来事 電車の中では、 ふつうであれば夫婦や親子など 親密な関係にある人間しか 入ることを許されない密接距離や、 友人同士で用いられる個体距離のなかに 見知らぬ他人 が入りこんでくるということから、 別の規則が派生してくる。 私たちはたまたま電車で隣り合って座った人と 挨拶を交わたりしないし, ふつうは話しかけることもない。   私たちはあたかも 自分の 密接距離 や 個体距離 のなかに 人がいることに   気がつかないかのように、 それぞれ新聞や雑誌を読んだり、 ヘッドホンをつけ 音楽を聴いたり、携帯電話をチェックしたり、 ゲームをしたり,あるいは 目をつむって考えごとをしたりしている。 それはあたかも 物理的に失われた距離を心理的距離によって 埋め合わせているかのようである。 アメリカの社会学者 E. ゴフマン( 1922 ~ 82 )は, 公共空間のなかで人びとが示す このような態度を 儀礼的無関心 と呼んだ。 2、具体的に儀礼的無関心とは どのような状態で 行われるのか? 「そこで行なわれることは、 相手をちらっと見ることは見るが、 その時の表情は相手の存在を認識したことを 表わす程度にとどめるのが普通である。 そして、次の瞬間すぐに視線をそらし、 相手に対して特別の好奇心や 特別の意図がないことを示す。」 電車のなかで他の乗客にあからさまな 好奇心を向けることが 不適切とされるのはそのためである。 たとえば, 電車のなかで他の乗客をじろじろ眺めたり, 隣の人が読んでいる本を のぞきこんだりすることは不適切と感じられる。 例外は子どもである。 子どもは他の乗客を指差して 「あのおじさん変なマスクをしてる」 と言っても大目にみられるし, 逆に子どもに対してはじっと見つめることも, 話しかけることも許され