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『落ち込み少女』第1章その17




「ただいま」

「おかえり。」

リビングから年季のかかった、いや落ち着いた女性の声が聞こえてきた。

僕の母だ。今時はめずらしい専業主婦として、部屋の掃除をしていた。

「悪いけど、もう風呂入っていい?」

「いいけど、どうしたの?帰ってすぐお風呂なんて。」

「今日は疲れたんだ。早く寝たいから。」



冷静になった今では、

僕も彼女のあの発言に納得しかけていた。

いや自らを納得させた。

そうでもしなければ、

やけになる自分にまた嫌気が指すと思ったからだ。

全裸になり、颯爽と風呂場に向かった。

シャワーを浴びていると、汗が流れ落ちていったことが肌で感じられた。



今日のことも洗い流して、忘れられたらいいのにな。

でも、あんなことを言われても

僕は彼女のあの握り拳だけは忘れたくはなかった。

同情なんかじゃなくて、もっとこう、、、、、いや分からないな。

風呂からあがって、髪の毛を乾かし、寝巻に着替えると

もう7時半であることに気づいた。

このところ、一日の速さに驚かされる。

毎日が特別充実しているわけでも、楽しいわけでもないのに、

なぜか地球が自転する速さが僕の感覚よりも速い。

僕も年季がかかったということなのかもしれない。


「祐、ご飯!」

「わかった。」


リビングに行くと家族4人分の食事が並べられている。

今日の晩御飯は白米、

エビフライ、煮物、コールスロー、たくわん、味噌汁だ。

何て庶民的溢れた食事だ。

感無量だ。

妙に落ち着く。

今日1日いつもとは違う非日常を味わっていた僕にとって、

味噌汁にとっての平温な温度がいつになく熱く、そして美味しく感じた。


バラエティー番組が流れている。

中ではこことは違う、演出された笑いがお茶の間を盛り上げている。

父は爆笑と冷笑の間くらいでさまよっている。

母は笑いのツボが分からず、キョトンとした顔でお米を頬張っている。

妹はそんなことはいざ知らず、スマホとにらめっこしている。

僕はそこにはいない。

別にいい。

作られた笑いに対して笑えないことを恥じる必要はない。


平和だ。

これでいい。

これでいいんだ。

平和で、何もない。

確かに、刺激は足りないかもしれない。

でも、戦争より幾分かましだ。

この時僕は平和のつまらなさを知っていたにも関わらず、


何故かそれを認めてしまったことに違和感を覚えた。



「ごちそうさま。」



晩御飯を食べ終え食器を洗い場に持っていくと、

瞼がやけに重く感じ始めた。

すぐに歯を磨いて、何となしにベッドへと倒れ込んだ。


今日はいつもの歯車より大きく狂った1日だった。













目に眩しいものを感じた。


あぁ、朝か。...87分、...................まずい!


遅刻だ。うちの高校は8時半からホームルームが始まる。

徒歩で15分だから、残り8分で支度をしなければならない。

いや、走れば5分強で着くはずだ。

いつも20分で行なっている身支度を、半分で仕上げた。

時計を見た。

残り12分、ジョギング程度のスピードで走れば、大丈夫だ。

なぜ自転車を使わないかって?

乗れないからじゃない。

持ってないのだ、今は。

僕は中学三年の冬、自転車を壊してしまったのだ。

この高校に合格した後、必要な書類を提出する必要があった。

歩いて行くには少し遠いので自転車で向かったのだが、

なぜか自転車がパンクしたのだ。理由は分からない。

それからというもの、

近所には自転車屋がないため購入を先延ばしにした結果、

3ヶ月たった今でも、まだ徒歩通学ということだ。

今まで入学したてということもあってか、

遅刻したことがなかったから問題はなかったが、

僕の心拍数を急上昇しているまさにこの時、

自分の怠慢さに怒りと憐れみを感じてしまった。

校門についた僕はジョギングをやめ、学校にある時計を見た。

825分、ハァハァ、よし間に合った。


 いつもより少し息を荒げながら、軽く自分の下駄箱を開くと、

その拍子に靴が落ちて来た。


いや嘘だ。


これは靴じゃない。

手紙だ。

三つ折りにしてある。

下駄箱、紙、これってもしかしてラブレターなのか

いや、電子機器が普及した今の時代にラブレターって。

でも、下駄箱に手紙というだけでラブレターと判断するのは、

いささか短絡的すぎるな。

脅迫状かもしれないし、呪いの手紙かもしれない。

開くと、文字がつづっている。


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